---華道家 Contents ---

Mr. sohun sugizaki
静と動、前衛と伝承…対極の場からの創作を観座。いけばな人としての地球を考えようとする作品に・・・華は“一瞬ひとときの美”“人が華をつくる”。
いけばなって・・・・・
●自然にある花を摘み、器に生けることが「いけばな」です。
自然のはかない花をいかにどのように生かすかが大切です。いかにどのようにということが床の間に置くとか、いけばな展の会場に置くとか、いろいろ有り、その活け方もその時代時代にふさわしいものとして常に変様しています。

●仏前にはなを供える「供花」に始まり、鎌倉期の「花合わせ」、室町期の書院造りにより、「床の間」
「違い棚」がうまれ、「唐もの」と呼ばれる中国からの渡来の珍しい
具や器ものが飾られ、唐ものの青銅の花瓶にはなをたてる「立て花」が盛んになりました。
●室町期では、将軍家には、芸能や唐ものを伝える同朋衆と呼ばれる人々が仕え、室礼を行っていました。また同朋衆のほかに六角堂の僧・池坊などの「立て花」に優れたものが現れます。
●江戸期になると「立花」は、公家、武士、僧侶、上方の商人により広ま
り、大成されていきます。
一方17世紀末ごろより、「茶の湯」の流行にともなり「なげいれ花」 という新らしいいけばながより親しみやすい花として町人社会で行われるようにななってきました。

●18世紀になると多くの芸能の中心は上方から江戸へ移り、床の間も町人の家に設けられ、なげいれ花よりも格式のある 花が求められ、花では「生花(格花)」と呼ばれる分野が生まれて、より広く民衆の間で愛好されるよ
うになります。

●明治維新に入ると、洋風化に伴い、「盛花」とうが生まれ、シュウリアリズム運動等の美術とともに前
衛いけばな等が行われ、安達流、小原流、草月流等の新らしい流派が生まれていきます。
●太平洋戦争後、焼き残ったウインドウなどに華が活けられ、早く、いけばなが大衆の気持ちをつかみ、昭和40年頃に日本いけばな芸術協会等が設立し、今日にいたる。
●いけばなの文化を語るのに、ある作家が「心に花を託すと同時に花の中に
すでに人間があるということ見抜いてきた文化」と言い、人間のさまざまな心の形を持って咲き続け、それらの自然の花は、その瞬間を切り取られ、そこに心が浮かび、自然が花が蘚る。これを繰り返し、自然と人の密度の濃いの関係を築きあえてきたのでしょう。
【コラム】
毎朝、野の花を摘み、水揚げをして、朝9時には店のウインドウにはなを活けることを365日継けられるのは、その時季の旬」の花をお客様に観てもらうがため、それもその店が野の旬を大切ににしていることを示しているため、季節を大事にしていること、花をいける慈悲の心を持っていること、やさしさのあること・・・花から発信されるいろいろのことが、花を活けることから連想され、店のためにもなっていくのでしょう。
いけばな家は、朝早く仕度をして花を活け、活けた花がお客をもてなします。お茶はその人がお茶を立てもてなします。何事も準備仕度には時間がかかり、花も茶もその一瞬のこのひとのためのものです。
華道(かどう)とは、草花や樹木などの植物材料を組み合わせて構成し、鑑賞する芸術であるいけばなに、道としての側面を加えたもの。日本発祥の芸術で、国際的に広がっていると言う人もいる。
花道とも表記し、またいけばなとも呼ばれる。 ただし「華道」という呼称には「いけばな」よりも求道的側面が強調されている。
さまざまな花材をいけるが、そのいけ方は華道流派によって異なる。例えば、見る方向は正面と定められている流派も多くあり、3次元の空間を、2次元で最大限に表す流派もある。これは日本絵画の表現方法にも通じる。欧米のフラワーデザイン(en:Floral Design)は、3次元のどこから見ても統一したフォルムが感じられるように生けると言われている。また、日本のいけばな・華道では、色鮮やかな花だけでなく、枝ぶりや木の幹の美しい表情、葉や苔まで、自然植物すべてを総じて「はな」と呼び鑑賞するのも、海外のアレンジの概念とは一線を画す。
華道以前 [編集]
華道は、仏教の伝来と発展に伴い、仏前に花を手向ける供花に由来するという説が有力である。
だが、採取した植物材料を人間の知の監督下である空間にて再構成する行為に、古代のアニミズムの流れを指摘する研究もある。動物と異なり、切り落としても適切に処置すれば溌剌とした生命力を漲らせる植物になんらかの神秘を見たとしても、それは不思議なことではないであろう。それは常緑樹信仰にも通じ、人間の手の及ばない神秘の力を、花器の上で包括的に管理してしまおうとする試みであったかもしれない。
今日、「華道」といえば江戸時代後期、文化文政の時代に流行した生花、挿花のことを指すことが多い。
活けた花を愛でる歴史 [編集]
一輪挿しなどに挿した花を愛でる習慣は、古くは平安時代あたりまで遡り、たとえば『枕草子』などの文献資料からたどることができる。当初は既存の器を利用していたが、後に専用の花器が製作されるようになった。
華道としては、室町時代中期、京都六角堂の僧侶により確立された。代々池のほとりに住まいしていたことから「池坊(いけのぼう)」と呼ばれ、それがのちに流派の名前となる。家元、宗家らによって江戸時代中期にかけて立花(たちばな、りっか; 「立華」とも書く)と呼ばれる型が大成されていった。その後、江戸中期から後期になるとそれまでの上流階級・または武家階級のものから広く庶民のたしなみへと変化し、生花(しょうか、せいか)を中心に広く愛された。とくに未生流系、古流系、遠州系などの流派は技巧の達人・名手が多く登場し、多くの流派にわかれていくきっかけとなる。江戸末期から明治初期の頃、世界的なニッポン文化ブームにより華道・いけばなが欧州に紹介され、ヨーロッパのフラワーデザイン(en:Floral Design)にラインアレンジメントの手法として影響を与えた。国内ではやがて花姿は時代の流れに即し、なげいれ花、盛花(もりばな)などさまざまな型が編み出された。
江戸時代以降、池坊から枝分かれして多くの流派が誕生した。2005年3月現在、その数は日本いけばな芸術協会に登録されているだけで約300流派ある。
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